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THIS IS ENGLAND~傷だらけの坊主~

2012.01.16 Mon


不況、人種差別、スキンヘッズ・・・


時は1983年、第二次大戦で国力を消耗したイギリスは慢性的な不況に見舞われ、政治・経済・社会制度、あらゆる面でボロボロであった。

多くの領土や植民地を失い、かつての「世界帝国」としての栄光は地に落ち「英国病」に悩まされていた。

前年、「鉄の女」サッチャー率いる保守党政権の下勃発した「フォークランド紛争」で父親を亡くした「いじめられっこ」の少年、ショーンは学校の帰り道、街のごろつき達と遭遇、ごろつきのリーダー格であるウディの優しさに心を開き、頭を剃って仲間になった・・・




僕は、節操無く色々な記事を書いているのだが、中でも「スキンヘッズのファッション」について書いた記事が何故だか一番読まれているくさい。

僕自身はスキンヘッズでも無ければ、「Oi!」が好きな訳でもないし、ジャマイカ音楽もそれほど知らないのだが、イギリスのユースカルチャーを語る上で避けて通れない「スキンズ」に都度、言及してきた。

ということで、今回は満を持して

THIS IS ENGLAND

this-is-england.jpg

THIS IS ENGLAND 【DVD】
価格:3,761円(税込、送料別)


監督である、シェーン・メドウズの実体験を元に、サッチャー政権下にあった1983年のイギリスの労働者階級の社会をスキンヘッズの若者達を通して綴ったドラマ。

ここに登場するスキンズはモッズから派生した第一世代では無く、慢性的な社会不安と台頭するナショナリズムに巻き込まれ、人種差別主義者のレッテルを貼られてしまった第二世代のスキンヘッズである。

「トレインスポッティング」以来、最高の青春映画などと書かれたりもしていたが、単純にユースカルチャーを切り取った若者の青春群像劇といった作品ではなく、映画としての娯楽性を廃し、当時イギリスが患っていた幾つかの重いテーマを背景とした社会派ドラマである。

「Toots and the Maytals」のアーリーレゲエにのって始まるオープニングの「目の粗い当時の記録映像」が時代背景を規定している



主人公こそスキンヘッドになった孤独な少年ショーンではあるが、重いテーマの担い手はストーリーの途中から登場するコンボという男。

リーダー格であったウディの兄貴分、何らかの罪で刑期を終えて出所してきた「69年から頭を丸めている」生粋のスキンズ・・・

彼と主人公の少年ショーン以外の登場人物のパーソナリティは希薄で味気ない印象だった。

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ムショから帰ってきたコンボ
おでこに十字架のタトゥーがあるのが「本物」の証

tumblr_l9a2uwtYsr1qa94qh.jpg
リーダー格の青年ウディ
この映画でのファッションリーダー
黒のMA-1にチェックのボタンダウンシャツをトップまで閉め、ロールアップしたデニムに白ソックス、ドクターマーチンの8ホールブーツと典型的なスキンズファッションをスタイリッシュに着こなす。



英国の闇~国粋主義~

コンボが担った重いテーマとは「人種差別」、彼はナショナルフロント(イギリス国民戦線)に心酔していた。

ナショナルフロント(NF)は長引く不況とともに台頭してきた過激なレイシスト集団で、社会不安の元凶を移民である有色人(特にパキスタン人)に向けていた。そしてNFが有色人排斥の実行部隊として目をつけたのが「スキンヘッズ」だった。

当時、イギリスの失業率は10%を越え、街には300万人もの失業者が溢れていた。
まともに仕事にありつけず、抜け出せないフラストレーションの中で労働者階級の若者達は荒み、一部の若者は凶暴なスキンヘッズと化し反体制を叫びだす・・・

彼らの「盲目的反抗心」はNFにとって格好の餌であった。
サッカー場やOiパンクのギグに足を運んでは勧誘活動を行い「おまえらが仕事にありつけないのは有色人のせいだ」と吹き込まれた一部のスキンヘッズは怒りの矛先を有色人に向ける事となった。

有色人といえども黒人は例外で、黒人の生み出すクールな音楽はイギリスの若者の憧れであり、同じ環境で暮らしているジャマイカ移民の不良達(ルードボーイ)のスタイルや彼らの生み出す音楽「スカ、ロックステディ、レゲエ」は特にスキンズ達のお気に入りだった。

スキンヘッズは世界中に拡散しており(特にロシアは危険と聞く)、反社会的、差別主義の象徴として忌み嫌われている。
skinheads.jpg
ロシアのスキンズ
日本では「坊主頭」は健全な野球少年のトレードマークであったりするのだが・・・

仲間の溜まり場に突然現れたムショ帰りのコンボは黒人青年がいる中、差別的な発言を繰り返す。

リーダー格のウディは仲間の黒人青年をかばう事も無く、ただ黙っているだけだった。

その後のシーン、本人の前では強く言えないウディがコンボに対する不満を仲間達に話す様子から、コンボの存在が仲間内に不協和音をもたらすであろう事は明白であった。

そして、コンボは仲間に集合をかけ「ナショナルフロントの集会への参加」の勧誘を行う。

いよいよ溜まりかねたウディは不信感を露にしてグループは二分されてしまう。


世間一般的に「スキンヘッズ=極右、人種差別主義者」だと思われているが、それが全てでない事をここで明示していると言える。
Skinheads_Against_Racial_Prejudice_1.jpg
SHARP(Skinheads Against Racial Prejudice)の様な反人種差別主義の団体も存在する


グループの中でも無垢で感化されやすい少年達は「街に300万人もの労働者がいるのに移民達は優遇され、のうのうと店を構えている」等のコンボの話に感化され、NFの集会へ参加する。その中には主人公の少年ショーンも含まれていた。



ヒューマンドラマとしての側面

上でも書いたが、パーソナリティが希薄な登場人物が多い為、この部分を担えるのは主人公ショーンとコンボしか居ない。

とりわけコンボはロマンチックなキャラクターであった。

ムショ帰りのレイシスト・・・

それが彼の本質なのだろうか・・・

「俺をかばってムショに入ってくれた」的な事を言っている裏でウディはコンボの陰口を叩く

「尊敬されない兄貴分」コンボ

おそらく刑務所に入ったのも原因の多くは自分にあったのであろう

話が進むに連れ、その不器用さは浮き彫りになって行く

コンボは恋をしていた・・・

相手はウディの恋人、ロル
lol.png
濃いアイメイクの他はシンプル。典型的なスキンズ女子メイクのロル


ウディが自分の事を嫌っている事も、それをロルも間近で見ている事も、何より彼女が自分を嫌っていることも承知の上、それでもコンボはロルに告白してしまう・・・

「ムショに入る前、一緒に過ごした一夜が忘れられない、ムショにいる間もロルの事をずっと想っていた」

結果は当然・・・

思っていた以上に無残な形でコンボの恋は散った。

強面で、たいそうな主義をみんなの前で言い放ってみても、不器用な恋しか出来ない情けない男

去ってゆくロルを見送りながら彼は独り、車の中で泣いていた・・・


コンボは自分が不器用であることを自覚している。
「戦争、不況、爆発しそうな社会不安」の中、満たされない虚栄心は閉塞感とともに増幅し、暴力という稚拙な表現でしか解消できないコンボにとって、それを正当化してくれるのがナショナルフロントだったのだと思う。

コンボの空回りは映画のクライマックスまで続く


仲間内には黒人の青年ミルキーが居た

彼は温厚なキャラクタ?(なのか、気が小さいのかわからないが)で、コンボの様なレイシストの前でも大人しくしていたが、二人の関係にはなんとも言えぬ緊張感が漂っていたのも確かだった。

ふられた女ロルに媚を売ろうという意図があったのか、「差別発言」を取り繕うとすべく、コンボは黒人青年ミルキーに近づく

一瞬気が緩んだミルキーは、「幸せな自分の家庭」をコンボに話す

沸々と湧き上がる嫉妬と卑しく歪んだ感情に、ネガティブスイッチが入ってしまったコンボはつい口走ってしまう

「黒んぼのくせに・・・」

一瞬にして凍りついた空気の中「やっぱりコイツはダメだ」と言わんばかりに黙って苦笑いするミルキーに、コンボの卑屈なエネルギーは頂点に達し、遂には無抵抗な彼を半殺しにしてしまう。

繰り返してしまう不器用で稚拙な振る舞いに急激な自己嫌悪に襲われたコンボは、叫びながら泣き崩れてしまう。

「こんなはずじゃなかったんだ、こんなことするつもりなかったんだ」


現場には少年ショーンも居た。

自分に優しく理解を示してくれていたコンボに対する尊敬の念が一瞬にして不信感に変わる


そんな反面教師なコンボを見て少年ショーンは「大人の階段」を上った


この映画と日本

やはりこの映画は青春映画としてはテーマが重過ぎる、イギリスに横たわる最もシビアな問題である労働者階級と移民の問題を、スキンヘッズという存在を通してネガティヴに表現した社会派ドラマであったが、現在の日本の状況と無関係では無い印象も受けた。

弱体化する経済力、蔓延する不況の中、地に足の着かない政治は次々とリーダーを挿げ替える現在の日本。

労働意欲は低下し、若者の目は死にはじめ、「負け組」「勝ち組」というキーワードは貧富の差が生み出す格差社会を示唆している。韓流ブームに見え隠れするナショナリズムもそれと無関係では無いと思う。

アジアの勝ち組としてならして来た日本もやがてイギリスの様になって行くのだろう・・・


遠い島国の出来事ではない~フォークランド紛争~

主人公のショーンは孤独で塞ぎ込んだ寂しげなキャラクターとして登場するが、少年の心に影を落としているのがフォークランド紛争で戦死した父親への想い。

フォークランド紛争は1982年、アルゼンチンとイギリスの間に勃発した領土争い。

当時、内政的にボロボロだったアルゼンチン政府が国民の不満をそらす為に吹っかけた喧嘩で、紛争(戦争?)になるまで発展したが、当時のアルゼンチン政府は評判が悪かったので誰もアルゼンチンには肩入れせず長期化することは無く、イギリスの勝利で終わった。

勝利におわった事で不人気だったサッチャー政権の支持率は上がり、経済も復興に向かったみたいなので特に大きな問題として挙がって来なかったが、ここでもしイギリスが負けていたとしたら、この映画の主題は変わって来たかも知れない。

日本人にとってはそれほど馴染みのある戦争ではないが、北方領土や尖閣諸島など、島国として同様の問題を抱えている日本にとって、決して他人事では無い。領土問題がこじれると場合によっては戦争に発展する可能性がある事を今一度考えさせられる。

ファッションに関して

以前、スキンズのファッションについて、このブログで紹介したがスキンズは独特のファッションをもっており(モッズを継承している)、この映画でもドクターマーチンやベンシャーマンが具体名で登場するが、フレッドペリーを含め、毒タマもべしゃまも積極的にはタイアップしなかった様に思える。
やはりスキンズブランドと認識されるのに抵抗があったと見るべきか、特に理由は無かったのかは判らない。

そんな中で割りと積極的なタイアップをしていたのが「LONSDALE」、世界のスキンズブランドとして自覚しているかのごとく
14692042.jpg
lonsdale.jpg
ロンズデールはモハメドアリのスポンサーをやってた事もあるボクシングブランド
スキンヘッズはこのロゴ入りのTシャツとかを好んで着ていたくさい。
ポールウェラーも着ていたのでその影響でモッズブランドとして認識されているが、最近は日本でもボクサーのスポンサーについていたりして、俄かにヤンキーブランド色が強まっている

mylons.jpg
うちにあるロンズデールのジャケット
以前はこんな洒落たアイテムを出してたりもしたが
lonsdale-5.jpg
昨年位から、日本企画かも知れないがこんな様な品の無いアイテムのリリースが目立つ


続編がある

「THIS IS ENGLAND」には続編があって、「THIS IS ENGLAND 86」 と「THIS IS ENGLAND 88」がイギリスのチャンネル4という所でTVドラマ化されている。


THIS IS ENGLAND 86


THIS IS ENGLAND 88


登場人物のその後を描いた作品。

こちらは、それぞれのパーソナリティも見える青春ヒューマンドラマになっている模様。

日本では恐らく放送していないと思うが、興味のある方はどうぞ~



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デリカテッセン(映画)~日本のこぎり音楽協会というのがあるっぽい

2009.11.23 Mon
核戦争から15年後のパリのお話

パリの街外れに一軒の肉屋さん(デリカテッセン)がありました。

しかし、その肉屋さんはただの肉屋さんではありません

そこで扱う肉は人の肉

求人広告につられてやってきた人を食肉にしてしまう、恐ろしい肉屋さんなのです。


デリカテッセン」(1991仏)

delicatessen8.jpg

「アメリ」で有名なジャン=ピエール・ジュネとマルク・キャロのデビュー作である。

核戦争から15年後のパリ、一見、近未来の話の様に思われる設定だが、ここで描かれているパリは荒廃した50年代風のクラシックな趣のパリ

核戦争がいつ起こったか、という事は明示されていないので、実は時代背景設定は自由であったりする。

核戦争後の話と言うと、一般的には徒にサイバーパンク的な近未来や「北斗の拳」の様な、モヒカンがそこらじゅうで悪さをしまくる世界を想像してしまうが、それを逆手に取るようにクラシックな世界をベースに持ってくるアヴァンギャルドなセンスは、ロマン主義者のおっさんの傷だらけな想像力を喚起するのに十分なインパクトを与えてくれた。

前回はSFとして紹介しようと考えていたのだが空想科学と言うより超現実と言った方がこの作品の場合的確か・・・

街の肉屋さんが尋ねてきた人間を食べてしまうという、「赤頭巾ちゃん」や宮澤賢二の「注文の多い料理店」の様な童話的ファンタジーに、ヨーロッパ映画らしいブラックなユーモアが絶妙に盛り込まれる・・・。

食料を軸に、権力闘争させている点も面白い。

傲慢な社会権力の象徴として肉食主義者、反体制として菜食主義者

ベジタリアンはレジスタンス化して地下に潜り、地底人と呼ばれているところなんて実にフランスっぽい。

こう書くと、カニバリズムや社会的メッセージの強い作品かと思われてしまうかも知れないが、一つのユーモアとしてアヴァンギャルドなグルーヴを出す為の一つの設定として現れているにすぎない。

この様な特異な基本設定に乗っかるストーリーはとてもシンプルな恋の物語

求人広告を見て肉屋を尋ねてきた青年に、彼を食料にしようと企てる肉屋の主人の娘が淡い恋心を抱くと言う物だ。

そうして生まれた独自の空気感をさらにグルーヴさせてくれるのがこの作品の見所とも言える映像と演出の効果だ。

クラシックとアヴァンギャルドが一体となったアーティスティックな映像は勿論の事、何といっても音楽を使った演出が素晴らしい

セックスをしているベッドのバネが軋む音を契機に様々な具体音がシンクロしていく場面や、テレビの音楽番組にあわせて芝居を展開させる手法は、具体音楽(ミュジーク・コンクレート)やミニマルといった現代音楽のそれと近いものがあり、おっさん的に、この映画は音楽映画といっても過言ではない。

そういえば、北野武が「座頭市」で農民が畑を耕す音を契機にリズムを展開させるシーンがあったが、もしかすると影響与えてるかも・・・。

具体音楽のシーン
Delicatessen - Rhythm

勿論、ちゃんとした音楽も素晴らしく、チェロとミュージカルソーを使ったテーマ曲は名曲で、恋する二人が演奏するエンディングシーンは、まるでマグリットの絵画の様なシュールレアリスムの世界

素晴らしいラブシーン、最大の見所と言えるだろう。

Delicatessen.jpg

ダリ、ルイス・ブニュエル、ミュジーク・コンクレート、ミニマル・・・

この辺のキーワードやヨーロッパアヴァンギャルドに関心のある人はきっと気に入ると思うので観てみよ~




Theme:ヨーロッパ映画 | Genre:映画 |
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傷だらけのおっさんは泣きながらかわいこちゃんの夢を見るか?

2009.11.14 Sat
前回、長々とサラ・コナー書いてしまったが、折角だから前回触れた「アルファヴィル」と「ブレードランナー」を観賞しなおした所、殆どこの2作品は兄弟である事が判明

この二人の兄弟の似てるとこ、似てないとこを分析してみよう

~プロフィール~

「アルファヴィル」
alphaville1

生年月日(公開日):1965・5・5
出身地: フランス
親(監督等): ジャン=リュック・ゴダール監・脚
性別(ジャンル):SF


「ブレードランナー」
3577fb3b.jpg

2007年版の予告編がけっこうかっこいいぞ(画像クリック)

生年月日(公開日):1982・6・25
出身地: アメリカ
親(監督等): リドリー・スコット監 原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 」68年
性別(ジャンル):SF

SFの中でも両者、機械と人間の闘争というテーマを題材に作られた作品であるが、視点が正反対である。

アルファヴィル:   機械に制御されている人間
ブレードランナー:  人間に従属物として扱われる機械

前者は人間側からの視点、後者は機械側からの視点という感じ

最終的には両者ヒューマニズムに帰結するのだが、同じテーマで別々の視点から同じ点に着地する

生年月日からみて、アルファヴィルが兄でブレードランナーが弟と見て取れるがその通り
ブレードランナーの中にはアルファヴィルからの影響が随分と見受けられる

調べてみると、やっぱりブレードランナーはアルファヴィルへのオマージュ作品くさい


~アルファヴィル → ブレードランナー : 設定に見られる影響~

アルファヴィル

主人公 : レミー・コーション  
職業   : 探偵
任務   : 電脳都市アルファヴィルからの重要人物の救出もしくは抹殺
ヒロイン : ナターシャ、洗脳されて感情を抱く事が禁じられている無機質な女

ブレードランナー

主人公 : リック・デッカード
職業   : ブレードランナー(人間の中に紛れ込んだアンドロイドを捜査し処分する人)
任務   : 同上
ヒロイン : レイチェル、感情を持つアンドロイド(レプリカント)で自身を機械だと認識していない? 女


共通して言えるのは近未来を舞台にしたハードボイルドである点だ
ブレードランナーにおいて言及される多くはビジュアルイメージでるが、初期設定におけるハードボイルド感はアルファビルに拠るところが大きいと思われる。

ブレードランナーはフィルム・ノワールの要素も併せ持つ、なんて言われるがその影響もアルファヴィルにあったりするのか?


10263969.jpg
ブレードランナーといえば、強力わかもと!
舞台は歌舞伎町です(画像クリック)



~アルファヴィル → ブレードランナー : シーンに見られる影響~


アルファヴィル : 論理に批判的な感情を抱かないように洗脳が済んでいるか、機械が人間に尋問するシーン
ブレードランナー : 人間に紛れ込んだアンドロイドを見破る為に捜査官が尋問するシーン

前者は機械による人間探し、後者は人間による機械探しである

アルファヴィルでは尋問中に巨大な換気扇のイメージが登場するが、ブレードランナーでも同じようなイメージが使われている、また前者で登場する尋問の緊張感を示すマイクは、後者では嘘発見器の様な器物に変わっている。


~アルファヴィル → ブレードランナー : ヒロイン~


フィルムノワール的に考えると、ヒロインは男を破滅させる悪女、所謂ファムファタールとなるが、アルファのナターシャ、ブレードのレイチェル共に性質の悪い女キャラでは無い・・・

アルファヴィル
ナターシャ(アンナ・カリーナ)

地球生まれであるが、アルファ60の洗脳により記憶が抑圧されており、地球での記憶は喪失している。
洗脳されている為、符号化された行動しか取れないでいるが、外部の国に興味があり、地球人であることを示唆する様な一面を持つ


ゴダールのかみさんでヌーヴェルバーグのミューズ、アンナカ姫・・・
「気狂いピエロ」のマリアンヌよりもこの作品でのアンニュイでイノセンスなナターシャの方が魅力的
おっさん、アンナカ姫好きなので、やっぱ写真大盛りで

ma_8.jpganna.jpg kate-beckinsdale-for-mean-mag.jpg600full-anna-karina.jpg
movie-anna-karina-pierrot-le-fou-de-jean-luc-godard.jpg anna-karina.jpg
anna5wj8.jpg2964853735_8ce1636134.jpg


日本のアンナカリーナこと緑魔子
c0058954_253060.jpg  0612183.jpg
 
タイトル「おえつ」って・・・やっぱすげ~よ昭和歌謡は


ブレードランナー
レイチェル(ショーン・ヤング)

レプリカントの開発者タイレルの秘書で、自らもレプリカント、しかしそれを自覚しても中々受け入れられずにいるロマンチックな機械

tumblr_koj8v1syTd1qz4xuzo1_500.jpg      gg-blade_runner_girls.jpg
仲悪かったハリソンフォードとショーンヤング   ショーンヤングとダリルハンナ
                              おっさん十代の頃はダリルに夢中でした!

ストーカー女優のショーン・ヤングの代表的キャラであるが、撮影当時、主演のハリソンフォードにぞんざいに扱われ不仲のまま撮影されたらしい


アンニュイな人間、ナターシャとロマンチックな機械、レイチェル

相反する立場の二人は文明という矛盾の中で電気羊の夢をみる・・・

エンディングにおいて、ナターシャが初めて「愛してる」という言葉を発し、レミーと車で逃げるシーンはそのまま、ブレードランナーのエンディングでデッカードとレイチェルがキスを交わし駆け落ちするシーンに投影される。


殆どアルファヴィルのブレードランナーに与えた影響になってしまった~

似てないところと言えば一目瞭然、映像だ

時代の違いもあるが、アルファヴィルでゴダールはSFの世界を描くのに、当時のSFでよくあった様なレトロフューチャー的な表現方法はとらず、当時のフランスそのままを使った。

この作品のテーマ同様、映像においても文明に対する鋭いメッセージを投げかけるゴダール。

一見、何の変哲も無い風景だがそこに暮らす人間だけが何かおかしい
不気味な未来をSF的手法をとらずに描くアヴァンギャルドな手法はさすがだ

ブレードランナーはもう、映像の映画!
ここに描かれる退廃的な未来の風景は何かリアルで、今見ても説得力がある
サイバーパンク映画として後のSFに多大な影響を与えたのも納得

しかし、決して明るい未来の風景を描かない姿勢はゴダールに通ずるものがあるといえる

ファッションでいうとモッドな兄、アルファヴィルとパンクな弟、ブレードランナーという感じか・・・

とにかく、この2作品は続けて見るととてもいいかも


そうだ~

こんだけSFについて書いてたら、思い出してしまった~

とんでもない未来を描いたSFを・・・

「デリカテッセン」











Theme:特撮・SF・ファンタジー映画 | Genre:映画 |
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エンゼル・ハート~プレ猫パンチのミッキー~

2009.10.25 Sun
前回、ミッキー・ローク傷だらけ復活について触れたが

セックスシンボル時代(猫パンチ前夜)には、なにもチャラついてばかりいた訳ではなく
非常にキケン且つスタイリッシュな問題作で見事な演技を見せてくれた


1955年、しがない私立探偵に舞い込んだ一人の有名ミュージシャン探しの依頼・・・

エンゼル・ハート(87米)

アラン・パーカー監督が放ってしまった、オカルト・ハードボイルド・サスペンスの最高傑作である。

「悪魔との契約」をテーマにした禍々しい空気感は、オカルト映画の金字塔「エクソシスト」や「オーメン」などにも全く引けをとらない。

後のホラー描写に大きな影響を与えたと言われる、古いエレベーター、暗闇で回る換気扇等の陰湿な映像

煮え切らない展開の中で次々と起こるショッキングな猟奇殺人・・・

驚愕の事実による悲惨なラストシーン・・・

どこをとっても実にスタイリッシュで風格がある

2トンもの牛の血を天井から降らせたといわれる、ミッキーと黒人少女の血塗られたセックスシーンの強烈なインモラルグルーヴは圧巻だ。

しかし、「悪魔との契約」とミュージシャンと来るとどうしても思い浮かぶのが

そうロバート・ジョンソン・・・

robert-johnson.jpgクロスロードで悪魔に魂を売ったとされるロバジョン
ロバジョンの音楽とその意義は後ほど、「グルーヴィ音楽譚!」の方で取り上げるとする
とりあえず「俺と悪魔と」を聴いて(画像クリック)


この映画はほぼ間違いなく、ロバート・ジョンソンの伝説を元としている
実際、捜索を依頼されているミュージシャンの友人役で戦前から活動しているリアルブルースマン
ブラウニー・マッギーが出演している。

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サニー・テリー(後)&ブラウニー・マッギー(前)の名コンビ(画像クリック)

もう一つ重要なのが「ヴードゥー教」
ヴードゥー教はアフリカや中南米で信仰される土俗的な宗教で、ゾンビ的な話で知られるが
その特異性から、しばしば邪悪な宗教とされ、古くから邪悪さを出す為のネタによく使われた
この映画でも悪魔信仰的イメージとしてヴードゥー教が使われている
短絡的にヴードゥー教と悪魔信仰を結びつける様な古臭い手法は出来ればとって欲しくなかったのだが、ロケーション的にはとても効果的な結果を生んだ

北アメリカにおいてヴードゥー教が盛んなのは南部ルイジアナ州、中でも最初にヴードゥー教が入り込んだ地がニューオリンズ

失踪したミュージシャン探しの舞台はニューオリンズの小さな村なのだ

ニューオリンズのイメージといえば音楽の街、賑やかなブラスバンドやジャズに満ち溢れたポジティブなイメージ
しかし、この映画で描かれているのは閉鎖的で不気味なニューオリンズである

陽気な音楽がより一層不気味さを増すのだ

そして不気味さを決定付けるのが、ロバート・デニーロが怪演する依頼主”ルイス・サイファー”の存在
事件の全貌が見えた時、彼は自らの正体を明かす・・・

Louis Cyphre・・・
Lucifer・・・
ルシファー・・・

それにしても、ミッキーロークカッコいいな
angel-heart.jpg
ハードボイルドなやさぐれ気味の探偵、ハリー・エンジェル
猫パンチ前夜のミッキーは本当に格好良かったのである(画像クリック)




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カウリスマキ~昔、7インチレコードがかけられるカーステがあったっぽい

2009.09.23 Wed
カウリスマキの描くロマンスはとても不器用で微かにグルーブするだけだ

それゆえにひたすら甘酸っぱく、ロマンチックでもある。

まるで、恋愛偏差値中2以下の傷だらけのオッサンとおばさんのロマンス…

こんなテーマをグルーヴさせようとするカウリスマキの恋愛観は一体どうなってるんだろう。



無関心とも思える位のミニマルなコミュニケーションの中

微かな心の揺らぎが恋の特異点とも言うべき、意識と無意識の区別もつかない無限の世界をチクっと刺激する。

カウリスマキが描くのはそこまでだ。

その後に起こる情動を描く様な野暮な真似はしないのだ。

愛しのタチアナ
1993年。フィンランド。"Take Care of Your Scarf, Tatjana".
アキ・カウリスマキ監督・製作・脚本。

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視線を合わせることすらなく、ただ女が男の肩にもたれるだけのラブシーン・・・

とても素敵なラブシーン

恋とは中二に始まり中二で終わるのかもしれない・・・



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