RSS|archives|admin

スポンサーサイト

--.--.-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


Category:スポンサー広告 | Comment(-) | Trackback(-) | top↑ |

キャンディーズの1975年

2012.12.02 Sun
おつです~

随分と空いてしまいましたが、まだまだ3分の1程度しか進んでいないので、早速いきます。

今回は音楽の話ではなくてバックグラウンドの話をしてみます~
なので、テキスト多めな感じ。
最近は、画像やら映像やらを貼りまくり随分と重たくなって来てるので、今回は控えようかと・・・

キャンディーズに相当興味ある人じゃないと読めない内容になってしまいそう~

タゲマアイコン他のキャンディーズ記事はこちら

キャンディーズ~ラジオの世界 エグレと年増とドラム缶の美学~
キャンディーズの音楽~レコードデビュー未満~
キャンディーズの音楽~初期のキャンディーズ~
キャンディーズの音楽~中期のキャンディーズ録音編その①~
キャンディーズの音楽~中期のキャンディーズ録音編その②~
キャンディーズの音楽~中期のキャンディーズ録音編その③~
キャンディーズの音楽~中期のキャンディーズ録音編 最終回~
キャンディーズのライブパフォーマンス~75年まで~
キャンディーズのライブパフォーマンス~大里マネージャのステージ美学とMMP~
キャンディーズのライブパフォーマンス~キャンディーズのスティーヴィワンダー~

~キャンディーズにとってのヒット元年~


1975年はキャンディーズにとって極めて重要な年である。
初めてのヒット曲である「年下の男の子」(オリコン9位)が発表された年であり、ソウル歌謡史上屈指のキラーチューン「その気にさせないで」(オリコン17位)、そしてアイドル歌謡クラシックスとなっている重要曲「ハートのエースが出てこない」(オリコン11位)もこの年に発表された。

しかし、驚きなのはたいして売れていない事である。「ヒットした」といっても1位は勿論のこと5位にすら入れていないのだ。

歌謡史上に残る国民的ナンバーともいえる「年下の男の子」でも9位、「ハートのエースが出てこない」なぞは10位以内にも入れていない・・・。

現在は「ビッグワンガム商法」(AKB商法ともいわれる)や「自社買い制度」に侵食され、完全に機能しなくなっているオリコンチャートであるが、当時はレコード全盛期、オリコンチャートで上位に入る事が非常に難しい時代であったのがわかる。

そして「年下の男の子」をひっさげて「紅白歌合戦」に出場が決定。

出場決定の知らせを聞いた時の興奮は相当なものだったらしく、松崎Pをはじめ、そこらへんにいたファンらを引き連れて六本木に繰り出し、祝杯をあげたそうだ。

ファンを引き連れて・・・? 
このインディーズバンドみたいなノリのよさもキャンディーズの特徴の一つだ。

松崎澄夫プロデューサの言葉

「はじめて『紅白歌合戦』が決まった時、六本木のクラブでね、みんなで盛り上がったんですよ。最後に松崎がしゃべらなきゃ、って言われたんだけど、もう泣きそうになってたから。嬉しくてね。自分がバンドで出来なかったことを、この子たちにある程度託していたところってあるから。バックもちゃんとバンドでやっていたし――――。」(ドキュメンタリー オブ キャンディーズより)

自身がミュージシャン(アウトキャスト~アダムス)として決して満足な活動が出来た訳ではなかったであろうから、その喜びは人一倍であったことであろう。なんとも素敵な話である。


~ヒット曲以上に重要な交代劇~

作品の成果も極めて重要な年であるが、キャンディーズにとって更に重要な出来事があった年でもある。

マネージャの交代劇だ。

結成当初からキャンディーズを担当し、常に行動を共にし「キャンディーズ」というグループの基礎を作った敏腕マネージャ、諸岡義明氏がキャンディーズを離れた。

諸岡義明は「ザ・ピーナッツ」のマネージャを務めた人物で、諸岡氏によるチームは優秀なスタッフが揃っており「花の諸岡組」といわれるほどだったそうだ。
そんな「諸岡組」は駆け出しのハナタレ娘三人に業界の作法をはじめ、的確な指導を行い「キャンディーズ」のキャラクタを作りあげた。
ランのカリスマ性に気付き、的確なファン層を把握して、センターポジションをスーからランに替えたり、当初シングルB面の予定だった「年下の男の子」をA面にする事を推し進めたのも彼であった。

キャンディーズは諸岡マネージャに全幅の信頼を寄せていたようで、特にランはこの出来事があまりにもショックで、相当泣いたらしい。
しかし、キャンディーズはやっぱりついている!

続いてマネージャについたのは、キャンディーズのみならず、今や日本の芸能界の重要人物の一人、大里洋吉氏(アミューズを設立した人)であった。
諸岡マネージャが育てた「キャンディーズ」というキャラクタを大里マネージャは次の次元(というか超次元)へ導いた。

キャンディーズが「リアル少年ジャンプ」友情・努力・勝利のシンボルとして究極のアーティストと成りえたのもこの二人の存在が大きい。


~キャンディーズバンド化計画~

大里マネージャはライブパフォーマンスを非常に重視するタイプの人だったようだ。

ナベプロはジャズミュージシャンだった渡辺晋さんが作った会社なので、ナベプロの歌謡ショーとなるとジャズミュージシャンによるビッグバンドがついてジャズっぽいステージになることが多く、75年の前半まではキャンディーズも昔ながらのビッグバンドをバックにステージをやっていたが、大里マネージャはそこにGS世代のロックミュージシャンによるバンドをつけて「キャンディーズバンド化計画」を計った。
大里マネがバックバンドを打診したのは、かつて自身がマネージャを務めていたGSグループ「ザ・ワイルドワンズ」の鍵盤奏者であった「チャッピー」こと渡辺茂樹率いるMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)だった。

MMPは76年以降は専属バンドとなり、ライブにおけるキャンディーズは、MMPも含めて「キャンディ-ズ」という大所帯バンドと化し、解散まで活動を共にして行く。
そんなMMPとの初共演が75年8/26日の「日劇ウエスタンカーニバル」だった。

MMPについてはキャンディーズのライブに関する記事で深く取り上げる予定なので今回はこれだけで


画像が一枚も無い~

参考:ドキュメンタリー オブ キャンディーズ
スポンサーサイト


Theme:お気に入り&好きな音楽 | Genre:音楽 |
Category:グルーヴィ音楽譚! | Comment(0) | Trackback(0) | top↑ |
<<キャンディーズの音楽~中期のキャンディーズ録音編その③~ | HOME | 傷だらけですが復帰します>>
name
title
mail
url

[     ]
Trackback URL
http://ronna1210.blog46.fc2.com/tb.php/161-fca2213c

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。